表現という記録

2015-01-26

額屋さんに絵をもっていった帰り
傘が無いのを言い訳に本屋ぶらぶら

マイブック
新潮文庫

というのを買ってみました

手帳に
例えば
○○さん ◇時 場所△  打ち合わせ▽
という記録と
その日思いついたアイディアなどが一つの空間に混在するのが嫌で
記録用
記録でない用
今まで手帳は二つ持ち、一時期三つもち
だったのですが、
記録ではない用にこれいいやん!と。
表紙には、2015年の記録、とありますが、

そこで、ふと、思ったのですが、
ふと、さっき、思ったのですが、

記録と記録じゃないもの

例えば、私は絵描きなので、記録と表現の違いとか境界線って
そういえばどこだろうと。

例えば、私にとって欠かせない写生
写生を私は記録とは捉えていない
絶対に。

じゃあ、写真は?
私は写真を日本画に使用しないと、頑なに、それはもう頑なに、決めています

その理由は、多分、それが誠実な表現ではないと思っているからで
でも、写真家(アーティスト)による好きな写真作品は幾つも在る

答えは、当たり前に、意図や思想かとか、最後は「心」の話になってくるんだろうけれど

んー 私には、わからない

だって、だれが、それを、一体、心と認めているんだ?

それにしても、ギリシャ語で蝶をプシュケ(心)とはうまく現しているなあと思うのは
描けば描くほど本当に心とは確かに在るのにまるで無いような
掴みどころのない不思議なものだなと思うから

云々