内蔵助と光琳、君の茶室

2015-12-12

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京都市歴史資料館にて。
その模写をされた徳永勲保氏のご案内で、中村内蔵助の「居屋舗絵図」を観る

400周年とやらで京都琳派が世間を大いに賑わしている、
しかし、尾形光琳最大のパトロン中村内蔵助のことを知る人は多くないよう。
中村家は京都銀座の人。
銀座とは、江戸時代の通用銀を貯蔵する役所のこと。
貨幣改鋳の度に銀座には利益がたんと入る仕組みで、元禄八年から四年に渡る金銀改鋳は、中村内蔵助に巨万の富をもたらすことになる。
その中村内蔵助の屋敷図である。
贅をつくした屋敷には、膨大な美術工芸品。
特に光琳との信頼関係は格別なものであった。
光琳にいくら才能があったとしても、多くの美しい作品は中村内蔵助なしに生まれえなかったし残り得なかったと言い切って良い。

地図を眺めていると、当時の絵描きになって屋敷に入り込んだような気分になる。
入口から入り、長い廊下を通り、茶室で一服し、そして主人の居る広い部屋に。
そこから眺める日本庭園。この屋敷に光琳は度々出入りした。

昭和初期までは地域やコミュニティーに必ず生粋の旦那が居て、芸術文化や優秀な人材を育てる役割を血縁も利害も超えて当たり前に担う。パトロニズムとは深い使命を伴う清純なものであったし、尊敬敬意をもたれる人々のことでもあった。
若冲も栖鳳も劉生も放菴も。そうそう、ダ・ビンチも有名ですね。少し調べれば、名と名作を残す作家には必ずそんな存在が居ることがわかる。それも主従関係でなく、お互いの尊敬と信頼が基盤にあり、共に成長する関係である。

今となっては、パトロンとは、男性が綺麗なお姉さんを囲う、綺麗な服も着せてやれる、その代りに一緒に飲むのか何して遊ぶのか、はて、私はよく知らないけれど、そんなイメージがネガティブな感覚と共に想起するようになって‥ませんか??なんとなく。悲しすぎる。いやいや、下々に居ります私の捻ねた誤解であります様に。

晩年は銀座闕所事件で追放の憂き目。広大な屋敷は競売に掛けられ、居屋舗絵図がつくられた。
現在の平安女学院の土地。
今に続く日本文化に大きく貢献した中村内蔵助に心よりの感謝を合掌を。

※参考 「同門」平成八年二月号 《茶室夜話 中村昌生氏》