ある、へ

2012-02-16

『第四の革命』
 http://www.4revo.org/archives/1362

自然に色や材料など恩恵をダイレクトに頂いて日本画を描いている限り
自然について
地球と人の営みについて
常に考え行動する義務があるなと常々思う

ちょっと話がそれるのだが
自分の制作場所
地球であり日本であり、滋賀県
大変な環境教育と取り組みにに力を入れている所
大半が自然豊かな、いわゆる田舎でもあるので
此処はなにもないよね
という趣旨の会話を良く耳にして
深く意味のない軽い会話だから全く構わないのですが
これが
日本画を描く方の場合は

と思ってしまって少し残念
又、もっと直接的、根源的な意見に最近よく出会う
『第四〜』を見てやっぱり文にする

だって
例えば和紙や墨や‥の原料になる木について思う
例えば岩絵具の原料になる石について思う
例えば水について思う
日本画は水と語らい感じなければ上手くかけない
切っても切り離せない水
琵琶湖の水はおとなり京都にまでも供給される
 
水道の蛇口を祀ろう
琵琶湖を埋めて手洗いっぱいと画材店の入ったショッピングモールを神殿に

今は自分で石を砕かずとも
お金と自然の恩恵が交換できる(今のところ)
本当に在り難いこと

大変な情勢で
色んなことを考える余裕がないかもだけど
膠をふやかし
指で絵具を溶く
今みたいな寒い季節は膠や画面の状態も気難しく変化するし
チューブ絵具みたいにスムーズにはいかない
そんな風にこんな風に
ゆったり時間が流れる日本画を扱える私は
出来れば私たちは
自然について
常に考え行動する義務があるなと常々思うし
それができることの豊かさ

震災後
ご縁を頂いた方に原子力にも造詣が在られる方がいて
原子力学会主催のシンポジウムに参加され
事故やエネルギーについての貴重なメールを頂いて
重大な問題に関わる情報や意見に対し
自分がどういう意見を持つのかどういったことを感じているか
ということを俯瞰せざるを得ない状況を経験しました
自分の知識のなさに唖然とするし
何もできない無力感に襲われそうにもなる

しかし
なにもできなくてもせめてとことんみつめなくちゃいけない
なにかを前にするとき
見ようとしなくちゃいけない
とことん見つめて見えるまで見えなくても

盲目的であることも怖いけど
見ようとしていないことが一番恐ろしい

なにもないよねは在り得ない

とんでもない情報量に混乱する
でもとことん見つめていれば
なんの知識もない私なんかでさえも
そのカオスの中にほんの少し調和や平和が見えそうになる時がある

だから必ず
ある

偉そうなことをいうつもりも批判的になるつもりも勿論なくて
真剣に考えたい