二冊について(異邦人と美の猟犬)

2018-10-24

最近の二冊!
「異邦人」原田マハ (PHP文芸文庫)
「安宅コレクション余聞 美の猟犬」伊藤郁太郎(日本経済新聞出版社)

異邦人と書いて(いりびと)と読ませる。
3/11の年が舞台。京都の若く美しい女流日本画家と、出産を前に東京から放射能を避けてきたコレクター菜穂。妊婦の菜穂のおなかが膨らみながら話は展開し、いよいよ京都とも「ただならぬ関係」になっていく。
日本画家よりも菜穂に自分が重なり、読み終えると読み終えるスピードで小さな作品ひとつ一気に描き終えたぐらいに泣いたり怒ったりくたくたになった。
ひとつはフィクション、もうひとつはノンフィクションなのが凄いのだが、偶然、最も重要なシーンで同じ言葉があった。
安宅産業倒産でいのちのように大切な作品が人の手に渡ったことについて伊藤氏に問われて答えた安宅氏のことばの重さと深さ。
「コレクションとは誰が持っていても同じでしょう?」
そして、異邦人(いりびと)の中でもある。
「あんさんのお気持ちはようわかります。せやけどなあ、その『睡蓮』は、もともと、あんさんのもんやなかったんと違いますか?」
「いままでも、これからも、誰のもんにもならへんのと違いますか」
絵は永遠の時間を生きる。
自分の創意とは全く別のものに追い詰められると自分がアトリエに隔離されたブリーダー犬になったような気持ちになりそうになるけれど、どんなときも子供が大切なことには変わらない。自分が作品を産み落とし手が離れていくことについても改めていろいろと思う。
強烈な二冊。