修行中の弟子A、先生の十三回忌に

2019-06-02

蒼い飛翔
2006~2007
和紙 墨 岩絵具 膠

京都市立芸術大学大学院でご担当頂いた日本画家谷口青児先生の十三回忌にお参りさせていただきました
集まる方々のお人柄がそろって柔らかく優しく、奥さまはやっぱり変わらず太陽のような笑顔でおられる ( 憧れ!)から、
まるで、先生を囲む会だったみたいな錯覚になる温かなご法要でした

谷口先生は日本画の先生には珍しく体育会系の雰囲気。明るく大きくいかにも人望があり、その上、いつでもラガーシャツを着ていらしたから、京都芸大の中では、日本画の先生というよりラグビー部の先生という認識の学生も多かったかもしれません。(先生、ごめんなさい!)
一方、淡くひだまりのような色彩でとても繊細な絵を描かれるのが、私はとても不思議な感じがして見ていました。

毎年30人近く入学する京芸の日本画の学生も、大学院では10人ほどになります。教員は七名くらい。
私の学年では、谷口先生を希望したのが私だけだったので、谷口先生にとって私は最後の卒業生になりました。
大学院時は闘病中で大学院在学中に亡くなられたため、私は担当教官から直接的な指導がないまま卒業したわけです。
当時の京都芸大日本画卒では珍しく無所属の道を選び、新たに弟子入りなどもしなかったためなおさらだったと思います。
教室にいらっしゃらないことで、いらっしゃったときにやっと頂くことができた一の言葉やご指導が、流されたり消えていくことなく、寧ろ反芻したり膨張されて千の言葉になりました。
もちろん今も、これからも。

今日のお坊様も「今日集まったお一人ずつの胸の中におられて」という言葉で語られていましたが、
ふと、生きていてさえ、きっと、からっぽのからだ。だなあと、ふってきたことば。
一人ずつの心の中にはもちろん、絵や自然や空気、そのなかにさえ、肉体以上にリアリティーのあるものが確かにまだありつづけて、確認もできて、肉体とともにのこされた私たちはそこから勇気づけられたり学びつづけることができます。

自分のからだがもっと本当に空っぽになったとき、わずかにも何かのこるのであれば、今日の日に感じたような温かさや優しさ、それだけをのこしていたいと思いました。

なんて。
先生、私には修行とご指導がまだまだまだまだ必要です。