バルテュス展 それでも果てない欲望

2014-07-05

若き詩人への手紙 若き女性への手紙
リルケ
新潮文庫

前に若い作家必読と薦めて頂いて読んだ本
作家目指しておられる学生さんももしこのブログみておられたら是非

ところで
リルケ
バルテュスの母の愛人でもあったことを私も最近教えて頂いたのですがご存知でした?
そもそも、若きバルテュスは知っていたのかな〜なんて思っていたけれど
なんとなんと
こういうことは
フランスらしいというのだろうか
(リルケはオーストリア出身)
昨日いただいたバルテュス年譜を見て
リルケと母親、バルテュスの仲睦まじい写真や
本当の父親並みにバルテュスが絵描きの第一歩を踏むにあたり
デビューまで支えに支えたのがわかる資料に驚いた
この文章の後に書く
「まだ無名だったから〜なことをするしかなかった」
無名の作家になるまでが大変なのである
詩人も画家も、あるとき平凡であることに悩むもの
日本画を選んだ私に到底その辛さはわかり得ないのかもしれないけれど
それを超えて神に近づこうとするのが西洋的なのか
果てなき欲望と悔しさ、あらゆる歯がゆさ
リルケがいなければバルテュスは間違いなく生まれなかった

バルテュス展
2014年7月5日〜9月7日(日)
京都市立美術館

今日(昨日)は開会式・内覧会へ
バルテュスの妖しい世界観はまだ思春期手前〜思春期の頃夢中になった作家
懐かしい気持ちで見る
夢か現実かわからないような不思議な空間、その「部屋」に引き込まれる仕掛け

絵画とは恐ろしいもの
仕掛けを仕掛けとわかって理性と知性を持って魅力を見つけられることと
気付かないうちに仕掛けられて夢中になっていることには大きな違いがある

バルテュス自身も娘にははっきりと
「まだ無名だったからスキャンダラスなことをするしかなかった」
と種を明かしている

特にバルテュスの場合、
もっと意識して
「何を」描いているかよりも
どうして?どのように?描いているかを着目する方が
魅力を見つけ理解することが出来ると思う

展示も後半(晩年)にいくほど画面は熟して充実して好き
なのに
何故か最も印象に残ったのは
第一室の初期作品

空中ゴマで遊ぶ少女(1930)

という作品でした
この絵は多分初めて見たと思う
他の絵は画集等で何度も何度も見ているから新鮮だったのもあるかな
スイスを愛して本当は風景画から入った彼らしい開放感のある絵
だからか
窓の絵も脳に心地よいのは
基本的に意図のひとつとしてはsmなんだな

それにしても
バルテュスの若い頃のポートレートは今見てもなんという男前なこと

ただ‥
今日は初めて見た
大きく引き伸ばされ飾られていた
最晩年の彼の司祭のコスプレ写真のおかげで百年の恋も冷める
そこでよぎるのはバルテュスが娘に語ったスキャンダル云々発言や
画面だけでなく作家としてもペルソナを演じ分ける才能
ここまでカリスマになってもなおそうなのかと思う
欲望とは本当に‥果てなきもの

会場にはアトリエも再現されていて日本画にも使われる
泥絵具の瓶が並んでいました