内臓が忘れている

2011-03-02

 ラファエル前派からウィリアム・モリスへ
2011年2月25日(金)〜3月27日(日)
会期中無休
10時〜20時(最終日17時・入館は閉館30分前まで)
美術館「えき」KYOTO 

会場に入ってびっくり
重い重い重い
凝視できない
もう何年も日本画にひどく偏食していた私
赤ワインの合う料理を
頭じゃなくて内臓が忘れている
この展覧会
美術好きでなくても、日本人、特に女性にファンが多そうなところだし
人も沢山入っていて
皆様うっとりと本当にうっとりと観ておられる
その様子が印象的で観覧者の方を見つめてしまう
そうしていたら、一人のご婦人が
「本当に神々しいわねえ」
と甘い声
うお
私にはそれらがとても悪魔的に見えるのだから
(これは否定じゃなくて、むしろ逆)
驚きなのが10年とかもっともっと前、日本画に出会う前
私にとって、ここがイギリス美術の中で最も好きだったところなのでした
(それさえ忘れて、JRのポスターを見て懐かしく思い出し見に行く)
私の衝撃作品ベスト10に2007年テート・ギャラリー展で見たミレーのオフェーリア
が間違いなくランクインするのですが、
(高校時代、無印良品の手帳に切り抜きを挟んでた)
今、本物を観たらどう感じるのだろう
(ところで、今回のミュージアムショップにもある
オフェーリアの3Dポストカード
恐ろしすぎて笑えるの
一見の価値あり)
それから、学部始めの頃にミレーと耽美主義について物凄く一生懸命論文書いた記憶
がおぼろに
あとデューラーとか
うわあ毒ドクドク
今は感想文もきつい
人間は数年で体内の細胞が入れ替わるらしいけれど
(w子、合ってる?)
頭の中はそんな訳にはいかないだろう
自分のデッサン、写生、視点、勝手と滲んでくるもの
育った環境、宗教や風土、
(両親、祖父母がキリスト教だったりは大きそう)
出会ってきたもの、好きだったもの、好きなもの、憧れ、
京都、滋賀、琵琶湖、山、水水水、日本画や日本画材
この体温やこの湿度
大切な人や人たち
いろんなものが今あまりにも混沌としている
怠け者の私は勝手にそれらが綺麗に化学反応してくれたらと思いそうなのだけど、
大爆発はそんなに甘い訳ない
混沌としていることを先ず把握して整理せねば
でも、今、何か見えそう
なんとかうまく反応してほしい
といいうか、今更な感じで申し訳ありません
ところで、つい先日、サラリーマンコレクターの山本冬彦さんという方が
「80年代前半の女性の作品は、どこか不気味というか、ドロッとした感じが共通しているように思う」
と書いておられるのに出会って、ん、と思う
作品をよく見ておられる方は、自分の絵を見て
「毒がある」
とおっしゃって下さる、これは個人的なものかと思っていたのですが、
世代的なもの?
ほんとだとしたら何故なのか誰か解明して下さい
って、自分で考えないと
私のデッサンを見てある尊敬する方にこれは○慰行為だと言われたのだが
本当に本当におっしゃる通りで
絵は人なり
このブログも然り
情けないけど悲観している場合でもない

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出口近くのウォーターハウスの作品
モリスのデザイン画
が綺麗と思いました
昔なら、ロセッティを選んだ‥かな
神々しいから