極上の目にえぐられるほど

2011-10-16

今日もかけあし展覧会めぐり
気になった作品、魅かれた作品を箇条書きだけする
特に岸田劉生については書きだすと止まらないことが予想されるため
岸田劉生展
まだどきどきしてる
なんたってやっぱり麗子像
女は見つめられてこそ
しかもただの目のことではない
天才のもつ極上の目に美としてえぐられるほど凝視されて
たとえ幼くとも
女にとってこんなに官能的で幸せなことある?

生誕120周年記念
岸田劉生展
〜11月23日(水)
大阪市立美術館

○合村の新緑 1907年
1913年頃までの自画像
道と電柱柱 1914年10月15日 メナード美術館
道路と土手と堀(切取之写生) 1915年11月 東京国立近代美術館
壺 1916年4月 下関市立美術館
壺の上に林檎が載って在る 1916年11月 東京国立近代美術館
林檎三個 1917年2月
静物(湯呑茶碗と林檎三つ) 1917年12月
卓上林檎葡萄之図 1918年2月
静物(白い過敏と台皿と林檎四個) 1918年4月
麗子裸像 1920年8月
支耶服着たる妹照子之像 1921年9月 ひろしま美術館
麗子像(重文) 1921年10月15日 東京国立博物館
麗子立像(未完) 1922、1924、1925の三点

中国絵画Ⅰ-館蔵・寄託の優品
〜10月16日(日)
大阪市立美術館二階展示室

第一室
第一章 明朝の絵画群

雲の上を行く-仏教美術Ⅰ
〜10月16日(日)
大阪市立美術館二階展示室

聖観音菩薩立像(木造) 平安時代 滋賀・○野寺
虚空蔵菩薩立像(木造) 平安時代 大阪・孝恩寺
如来坐像(石造) 北魏時代・天安元年(466) 大阪市立美術館山口コレクション

劉生
最初の自画像や妻の肖像画では明らかにキリスト教の精神が画面から伺えるが
リーチの壺や静物あたりから何かが変わってくる
麗子像に至っては何だろう
穏やかで美しい仏像のある部屋にきて
そうか、幼い麗子は劉生にとって仏だったのかと思った

絵画を観ることは作者の内面にそれこそ土足で踏み込ませて頂くことと同じ
私も人も人生は一度きりだけど
特にこのような回顧展では他人の人生を
喜びも悲しみも恋の浮き足から死の予感まで
一時間もあれば走馬灯を見るように経験できることも醍醐味のひとつ
当然くたくたになるけれど

知られざる日本絵画展-山水の風光-
〜10月16日(日)
天門美術館

石川寒厳(1890〜1936)  秋山山景図
北上聖牛(1891〜1970)  山月図

初めて聞く作家ですが観させて頂いた作品が面白くて今後大注目につき
名前インプット
探すよ
その他
不染鉄、林文塘など

その後数日遅れての妹の誕生日祝い

「なんでもない日、おめでとう」という言葉を
かつて人々は冗談として聞いたものだ
しかし、王様も大金持ちも、鼠も孔雀も、恋人たちも
一番欲しいのはそんな日々
(セフティマッチ氏の焚火話)

鼠も孔雀も?
明日からまたなんでもない引きこもり(=制作)のほぼ日々和
たぶん