絵は人なりゆらぎ

2013-01-16

 須田国太郎展
〜2月3日(日)
京都市美術館

ボリュームある素晴らしい展覧会
キャプションには年号と共に年齢も書かれ
部屋ごとの分類も見やすくわかりやすい
おなかいっぱいになる良い作品ばかりだからこそ
出され方に工夫があると
最後まで味わい(感動・鑑賞)ながら
栄養吸収(学び)までできて在り難い

絵を観るとは
今の私には
癒しとか気分転換とかとんでもなくて
くたくたになる運動である
もう少し消化されるのを待って
大理石の階段脇のベンチで見上げるステンドグラスの天井

須田国太郎
(189‐1961)

画面に刻まれた執着の時間に圧倒されるが
気付いたのが
描いた後
執着の
手放し方が凄い

この展覧会では
美術史を学んだ観察者研究者としての須田と
アーティストである画家としての須田と
二つの人格を見ることができる

第二室
1835 水浴
第一室の名画の観察者として行っている冷静な模写よりずっと迫力
絵は計算された色かたち構図だけでは成り立たないことの証明

そして画家の須田はこの作品で人格ない裸婦を積み木のように扱っている
しかも描いているときの形相なんて想像したら
絵は人なり
恋人だったら絶対幸せになれない
はずなのに

制作終了後
このストイックな絵の前で撮られた妻と幼子との記念写真
が作品と共に展示されているのだが
その調和のなさ
違和感
良い顔良い服良い玩具いかにも良い家族
ここに画家としての須田の面影なし

そのすぐ横の展示
1938 修理士
この絵もすごく良い
こんなことを書いたら鴨居のお化けがアトリエに出そうだけれど
(出て欲しい)
人物の扱い方と構図、鴨居玲(1928‐1985)を髣髴とさせる
こんな絵を描いて
24時間同じ人格で絵の世界に居続けたら
精神病んで当たり前である
本物の絵描きが健康でいつづけるのは難しい
複数の人格を持って執着と手放し方のバランスをとること
絵描きが絵描きでありながら健康でもある方法を須田の家族写真は示す

この頃観察者の須田は自作について
『色を失う』『暗くなる』と書いている
展示の解説文によると
須田はそれを『危機として捉えている』のだそうだ
しかし私はこの頃の作品がとても好き
一人の画家の男、体力も集中力もあり攻撃的で脂がのりに乗った時期だったに違いなし

この頃の風景も面白い

靉光のような肉感のある風景画が印象深かったが題名忘れる
他には
1936 工場地帯
1937 村
1938 筆石村
1941 田後 (鳥取にある須田が好んだ土地の地名)

又、須田と言えば動物画?が有名

1940 歩む鷲 ←これが見たかったのに京都には並ばず
年月とんで
1951 対話(鴨とはげこう) ←がある中で一番好きでした
       自分主体の人物画や風景と違って、動物には個性(キャラクター)を与えている

なるほど
画家としてのストイックさと観察者としてのインテリジェンスで
多くの画家に影響とインパクトを与え続けてきた(特に京都?)作家は器用な多刀使いであった

さて晩年に近づくほど
記念写真の主らしい柔らかさも垣間見られるようになる
こちらがきっと本来の須田かなと思うけれど
いずれにしても多重性が実は幸せ?の秘訣であり
絵の中ではどんな人間にもなれる
絵描きは幸せになりたい人ばっかりじゃないんじゃない?
という議論はおいといて

絵は人なりゆらぎ

覚えておきたいこと
路でその人と非常に意識してすれ違う御縁を頂くとき
美術館でギャラリーである人のある一作に対面するとき
その一瞬にはその一瞬のたった一面を私は見ている