祖父がくれた断片を

2016-04-11

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完璧ってなかなかないと思うのだけれど
最後の最後の瞬間まで素晴らしすぎる美しすぎる生き様を見せて学びと力を与えてくれた祖父
悲しみよりも感謝ばかり
クリスチャンで信仰の厚い信念の人でした。
家以上に家のような空間だったんだと思う教会にて、今日は御式の前の通常の礼拝の時間にも、祭壇に棺とお写真を置いてもらうような信じられないことまでして頂いて、おじいちゃんの喜びが自分のからだにまでいっぱい伝わるような体感
明日にでもと言われてから二週間頑張ってくれたので、海外のいとこも会いに来れたり、私も病院に泊って、何十年ぶりにおじいちゃんの横で一緒に寝れてすごく幸せな時間を過ごせました。この数週間で祖父には本当に人生を変えてもらったと思う
それに、二週間前のその日、悲しくて崩れ落ちそうだったのを、今日までの時間や出来事が心の準備をくれました。
今、一点の曇りも悔いもなく
でも、よく考えたら、この数週間、祖母からおじいちゃんのことをちょっと横取りもしてしまっていたのかなあ、と。
4月8日お釈迦様の誕生日、太陽が最も高く上がる時間、ラブラブだった祖母とその日、その時間だけは、二人きりに。《あり…》とまで祖母に言ってそのまま穏やかに。

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おじいちゃん。
神様よりもおじいちゃんの方が大好きで、煩悩ばかりのとんでも絵描きには、おじいちゃんみたいな立派な生き方は、100ぱーせんと出来ないけれど、でも、おじいちゃんの心、私なりに私の心に焼き付けたつもり。
得た学びと、前よりもっともっとそばに感じることができるから。
明日からまたパワーアップです。

 

写真。
大学在学中に戦争、学徒動員、国の役人でありながら平和主義であった突然すぎる実父の死と
孤独で苦しい青春時代を送った祖父、22で洗礼後、
聖書と共に生きる

道徳や哲学を教えるクラスを受け持った鉄道学園を退職後、
私の生まれた高松 (一年もいなかったので、略歴では滋賀生まれ(^_^;))で
当時沢山の問題を抱えていたという幼稚園に園長として迎え入れられた後、
80近くまで長く園長を勤めた良善幼稚園。
この幼稚園以降のおじいちゃんのことは私が大きくなってからのことで、ちょっと知ってたり想像もつく
新しいことが大好きで、とにかく勉強家でチャレンジャーで、ぴょんぴょんいろんなとこに行って学んで
一緒に旅行もたくさんしました
口数多くなく穏やかなのにおちゃめなとこもあり、そこが大好きだった
園児に見せていたらしい腹話術を私にも披露してくれてたり笑
(すごく面白かった~)
自分の子供だから弟妹だから、名札が付く特定の関係性で可愛いがるとか世話を焼くとかじゃなく
あらゆるカテゴリーを超えたい
みんなみんなが大きな家族という祖父が持っていたそんな心の持ち方を
先ずは兄弟姉妹の関係性より少し大きくしたたてわりクラスの中で、子供らにも養ってもらいたいという考え方からだったのでないかなと思う
祖父が導入した年の違う子が同じクラスになるたてわり保育が今も続いています
この幼稚園、教会と同じ敷地内にあるぼですが、翌日が入園式とのことで、玄関等のデコレーションが準備万端な様子
カラフルで華やかで、その上、桜も満開で
たまたまだけど、たまたまと思えないというか、
こうやって人は自分があらゆる全てから取捨選択する断片を希望的なストーリーとして紡ぎながら生きていくのですね