高野山大本山寶壽院・高野山専修学院 襖絵八面「十九花のうた図」ご奉納

2018-10-05

高野山寶壽院・高野山専修学院 襖絵八面「十九花のうた図」

約10年に一度、大切な大切な行事と伺っております。
学修灌頂が本日より御開筵とのこと、心よりお祝い申し上げます。

又、この度、学修灌頂の道場となります高野山寶壽院様に襖八面を描かせて頂くこという畏れ多くも大変大きなお役目を頂戴しました。
学びの場に学びの身でありながら描かせて頂きました。

初めて高野山に訪れたのは開創1200年を数年後に控えた年でした。
思いがけず、高野山恵光院様に襖絵を描かせて頂くご縁を頂き、副住職ご夫妻に堂本印象の壁画のある根本大塔などご案内頂きました。

その折、奥様が「高野山にはお大師様が今も生きていらっしゃる」と。あの日の私はその言葉に只々、ぽかんとするばかりでした。しかし不思議さよりも何ともあたたかな感覚として心に沁みていったのを覚えています。
そこからは、走るような月日の中ですばらしい体験や深いご縁をいただきながら、高野山や奥ノ院へ個人的な節目ごとには祈るような気持ちで足を運ばせて頂きました。
高野山にいる時、自分の未熟さや小ささを知ると共に、小さな中にも同時に大きな存在を感じることが出来ます。それは本当に希望的なもので、美しい花や自然の草木に触れる時、描くときも同じように思うことがあります。

「十九花のうた図」の構想のとき、初めて高野山の朝のお勤めでお経をきいた時の驚きを思い出し、おこがましくも、あの音のような絵を描けたらどんなにすばらしいだろうと思いました。高野山に上るまでの私の勝手な仏教のイメージ、日本画でいえばわびさびに通じるような水墨画の寂しげなものではありませんでした。いずれにしても勝手な受け取り方には違いないかもしれませんが、「そうですね。そうかもしれません。それでも…エネルギーいっぱいに生きなさい!」と人に力を与えて励ますような、力が在り煌びやかで色とりどりなイメージと共にありました。日本画の絵の具となる金や白銀、孔雀石もラピスラズリ等、決してむやみに濁さずにその材料の性質には意図を加えずなるべく純粋に、絵の具の魅力をそのままに十九種の花々にたくそうと決めていました。

高野山で「今も生きていらっしゃる」お大師様に出会えたことは人生を変える体験でした。はっきりと実感をもってお大師様が高野山で燃やし続けておられるいのち、時空を超えて生き続けながら全ての人に寄り添う力強く慈愛に満ちた存在。

高野山の皆様には、世界に対する新しい見方 (絵描きにとってもっとも大事な目) を与えて頂いた上に、この度、このような素晴らしいやくわりに御縁を頂きました。
しかも、多くの素晴らしい先生方が居られる中で、まだまだ若い作家であり学びの身でありながら、専修学院という学びの場に描かせて頂いたことを深く考える時、身が震えるような思いが致します。
必ず、この事実、この感謝を忘れず、学びと精進を重ねて参ります。
お大師様や高野山のみなさまを前に恥ずかしくない作家でないか、そのような作家であるためにはどのような成長をするべきか、問いながら描き続けたいと思います。

定家亜由子