鶏頭
絹 墨 岩絵具 膠
青春などほとんど皆そうであるみたいに、
自分もやっぱり同じように若くてやるせなかったころ
私の血潮こそ、この私の証明であり
そんなこの体は、両親のくれたもの、傷つけたらきっと親や身近な人は悲しむ。だから多分そういう理由で、たかだか他人が自分を傷つけられる程度の私であっても、なんとか大切に保たなくちゃいけないのかなと漠然と思っていました
今は、
それは傲慢なことかもとか
少なくとも狭い見えかただったなと
何より危ういものだと思う
家族や愛している人たちばかりでなく
思いやりをくれたAさん、理不尽をまだ許しきれないBさん
そんな袖振り合ったひとばかりでなく
死んだ人、 今生きている人も これから生まれる人も
虫も鶏も草も、
山も海も川も星くずでさえも
全部
私の殻の空のからっぽの体の中にあるんだなあって
このごろ
もっとつくづく思う
日本画材や花はそういったことを毎日毎日伝えてくれる
人が人を傷つけるのを見るのは痛ましいけれど
人が自分を傷つけるのを目の当たりにするのはもっと本当につらい
自分と外側を分かつものってなんだろう
それをもっと大きく立体的に感じられたら、どんなに繊細な時代にも、人はいのちを無碍にすることがあとほんの少しでも減るんじゃないかって思いました